食中毒(0157)により5歳女の子重体 原因はスーパーのポテトサラダ 過去には0157でこんな事件が…

大阪堺市集団食中毒

1996年7月13日(土)市立堺病院より「下痢、血便を主症状とする学童10名の診察をした」との通報が堺市環境保健局衛生部に入った。同様の情報が他の医療機関からも寄せられ、学童の集団食中毒を疑って調査を開始した結果、市内33小学校255名の学童下痢患者が判明した。環境衛生局長を本部長とする堺市学童集団下痢症対策本部を設置し、情報収集、医療体制確保、原因究明活動等を開始した。有症者検便 26検体中 13検体から大腸菌O157を検出、原因菌と断定した。患者数9,523名(母集団不明)、死亡者数3名の食中毒事件。

http://foodpoisoning.e840.net/h101100.html

大阪堺市食中毒

※この事件から20年後の去年2016年にこの事件で食中毒になった(当時)25歳の女性が

事件の後遺症によって亡くなられました。

事件当時は小学1年生です。20年もの間ずっと後遺症に悩まされてた事を考えると

胸が張り裂ける思いです。

雪印集団食中毒事件

雪印集団食中毒事件(は、2000年(平成12年)6月から7月にかけて、近畿地方を中心に発生した、雪印乳業(現:雪印メグミルク)の乳製品(主に低脂肪乳)による集団食中毒事件。食中毒認定者数14,780人の、戦後最大の集団食中毒事件となった。2000年6月25日、雪印乳業大阪工場で製造された「雪印低脂肪乳」を飲んだ子供が嘔吐や下痢などの症状を呈した。6月27日に大阪市内の病院から大阪市保健所に食中毒の疑いが通報された。6月30日に保健所から大阪工場に製品の回収を指導した。この頃には各地から食中毒の情報が入ってきていたが、大阪工場は言を左右にして応じようとしなかった。6月29日に事件のプレス発表と約30万個の製品の回収が行われたが、既に対応が遅れ、プレス発表後は被害の申告者が爆発的に増え、大阪府・兵庫県・和歌山県など広範囲に渡って14,780人の被害者が発生するという前代未聞の集団食中毒に発展し、世間を震撼させた。被害者の訴えた症状は嘔吐・下痢・腹痛であり、総じて比較的軽いものであったが、入院に至った重症者もいた。

http://foodpoisoning.e840.net/h101100.html

雪印集団食中毒 謝罪会見

14,780人もの被害者を生み出した日本を揺るがした有名な事件ですね。

当時はなぜか、乳業業界は衛生管理に優れているという認識がありましたが

この事件によって崩壊しました。

消費者も食の安全性を考えるきっかけとなった象徴的な事件となりました。

ユッケによる集団食中毒

2011年4月19日より26日の間に、複数の店舗において、食材の一部に菌が付着していたと想定される「和牛ユッケ」から腸管性出血性大腸菌O-111による男児ら複数名が死亡する集団食中毒が発生。県は、株式会社フーズ・フォーラスに対し、「焼肉酒家えびす砺波店」4月27日営業停止処分、「駅南店」4月30日営業停止処分、「福井渕店」5月2日営業停止処分、「富山山室店」5月6日営業停止処分、「横浜上白根店」5月16日営業禁止処分とした。なお、「焼肉酒家えびす」は4月27日より生食用食肉(ユッケ)の販売自粛、4月29日から全店舗の営業自粛。

http://foodpoisoning.e840.net/h101100.html

焼肉屋 エビス 謝罪会見

記憶にあたらしい事件ですね。

この株式会社フーズ・フォーラスの社長は謝罪会見で号泣&土下座をしたのは 

皆様も覚えているかと思います。

余談ですが、この不祥事により13億円超もの負債を抱え、2012年に自己破産をしています。

まとめ

食中毒による事件が後が立ちませんね。

これ以上被害が増えぬよう早急に事件の解明をしてほしいです。

また過去の事件でもあったように、後遺症によって亡くなった方もおられます。

今回、被害者、女の子の後遺症が無い事を祈るばかりです。

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